【※追記あり】組み体操が各地で禁止へ運動会の花形の行方は?

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どうもMakotoです。

 

運動会の花形種目として知られている組み体操。

義務教育経験者であれば、やりたいやりたくないは別にして参加したことがあると思う。

このところ、立て続けにこの組み体操を実施したことによる学校内での負傷事故のニュースが上がってくるようになった。

これに伴い、組み体操実施を禁止する自治体も出てきていて、文科省も消極的であったものの、そうもいかなくなり「重大な関心をもって、このことについて文部科学省としても取り組む」として、2016年度内に具体的に処置をすることを示している。

果たして、組み体操自体に悪があるのか、組み体操の中身を改善することでこの問題は落ち着くのだろうか。

今まさに、組み体操でやるピラミッドの頂点に立っているかのように、現場もぐらぐらと揺らぎ始めている。

 

 

そもそも組体操とは? どこまでが組体操?

組体操と言ってもいろいろな種目がある。一体組体操の定義はなんなのか?

Wikiより引用2016年7月2日

「組み立て体操」(くみたてたいそう) とは、体操を基礎にして、一般には道具を使用せず人間の体を用いて行う集団芸術である。日本では学校の運動会や体育祭でしばしば披露されるマスゲームの一種である。一般的には「組体操」(くみたいそう)の呼称が定着している。

引用終了

上記wikiを見ると、要は人間の体だけで行うマスゲーム(集団競技)のこととのこと。ということはそもそももって運動会の競技の中で道具を使わないものほとんどが組体操ということになるのだろうか ?

ただ、運動会のプログラムの中で「組体操」という演目があり、今回はその演目内での競技のことを指しているようだ。

では、その組体操の現在と、今後の動きについて今回はまとめてみようと思う。

 

 

組み体操のピラミッドは何段に設定されているのか

組み体操というと、どうしてものタワーやピラミッドを思い浮かべるのではないだろうか? そもそもその大技、何段までという取り決めなどはあるのだろうか。

実は今までそういった規定というのを聞いたことがない。というより実は組体操自体、義務教育で実施するといった規約等ないのである。でもなぜか小学校6年生になると小学校最後の集大成として組体操を成功させ、卒業を迎えるという流れがある。

この組み体操という種目は、運動会の花形で、見せ物として拍手喝采を浴びるところ。

とりわけこの見せ物は、より巨大に、より高くなればなるほど見るものを驚かせることになる。

ある地域の中学校が、組み体操で10段超えのピラミッドを成功させたという記録があるが、10段ともなると、実に高さが7メートルにまでなる。

その巨大ピラミッドの頂点に立つ生徒は、そこで2本足で立っているのだからスゴイ。

しかし、上は上で怖いが、下の土台にはスゴイ過重がかかっていることも理解しなければならない。

このように高さが高くなればなるほどリスクは大きくなる。しかし、低いからといって危険ではないかというとそうではない。2段でも転落して死亡した例もある。というのも落ちた時に頭を打って打ち所が悪ければ死亡事故につながる。

今回の一連の流れで高さ制限をかけて組体操を実施するという自治体も出てきている。だが、2段でも死亡例があるのであれば、高さが低くなった分リスクは少なくなるが根本的な解決にはなっていないのではないだろうか?

私は比較的体が大きな方だったので、組み体操のピラミッドやタワーでは、毎回土台の方にまわっていた。でも、高いところが大キライなだけに、そっちの方がよかったのだが、崩れたときの潰されるリスクがあるということは当時は考えなかった。

 

 

組み体操のピラミッドやタワーの巨大化による危険性について

組み体操の巨大化により、高い所にのぼる生徒たちは落下の危険性がある。

そして、組み体操が巨大化するということは参加人数が増えることなので、それにより、土台の生徒にかかる負担がハンパではない衝撃になってくる。また崩れたときの肋骨などの骨折のリスクも高い。

自分の背中に複数人の体重が掛かり、一番下の生徒は地面の細かな石などが手の平や膝に刺さって痛いだろう。

高さ7メートルにも及ぶ10段のピラミッドの場合、1人の生徒に掛かる負荷は、200kgにもなるというのだから、よくぞ耐えているなと感服する。

ま、10段は特別として、普通の学校ではどのくらいの高さなのだろうか? 我が子の運動会にも毎年6年生が組み体操を行うのが恒例となっていて、5段というのが通例のようだ。

しかし、昨年の秋の運動会では5段から4段に減らされた。というのも、練習中にピラミッドが崩れ1人腕を骨折したのだ。

 

 

組み体操でピラミッドの怪我をした後の対応

そんな経緯があった子供の小学校では、怪我をしたことにより、保護者への説明や先生同士の話し合い等行われ、結局段数を1つ減らすというリスクを低くすることで落ち着いたようだ。

そんなこんなで開催された運動会当日の6年生の組み体操の時は学校にいる先生方全員出動でそのサポートにあたっていた。

通常ひかないマットも崩れる予想がするところにフォーメーションを替える度、先生方が持って走り回ってはセットをしていた。

危険なのはピラミッドだけではなく、タワーというものもある。

座った状態で3段に組み上げた人が最後に立ち上がるというものである。学校によっては2段だったりすることもあるのだろうが、わが校は3段だ。

先生方の緊張感が伝わってきて、まさに手に汗握る組み体操であった。

 

 

組み体操の事故多発による安全確保の処置

組み体操のピラミッドやタワーによる事故が多発していることから、学校単位ではなく自治体自体で対策を施しているところもある。

例えば、名古屋市の教育委員会は、ピラミッドは4段まで、タワーは3段までとするガイドラインをまとめて、全小中学校に通知している。

なにゆえ3〜4段の高さにしたのかというと、最上段の生徒の足が、補助する教員の手が届くような高さであるということ。それが、地上から約2メートル以内ということになった。

名古屋市内の小学校や中学校では2015年度に組み体操で28人が骨折をした事故が起きている。

 

 

なぜ組み体操を行うのか? に対する色々な考え方

先述したような、高さ7メートルを超える10段の巨大人間ピラミッドを完成させたときの生徒たちの喜びというのも大きかったと思う。

見てのとおり、支え合うことで成し遂げた成功だということ。

ただ、教師の自己満足で生徒を危険にさらしているという考え方もあるよう。

だが、最初は教師たちの働きかけでなんとなく始めたとしても、大変な思いをしながら形を作り、最後は生徒たち自ら一丸となって成功させたいという気持ちが強くなっていくのである。

一昨年、実は子供の通う学校で色々と学校内で事件があり運動会が延期に延期を重ねるという出来事があった。

教育委員会と学校と保護者とで話し合いをなんども重ね、最終判断は校長先生に委ねられた。

運動会を開催するかどうかという報告の保護者会には体育館いっぱい埋まるほどの保護者が参加した。そして、結果最終的には決行となったのである。

決行と判断した理由として、6年生のみんなが署名を集め、そしてその中で代表の子供数人が校長先生のところに運動会を中止にしないで欲しいとお願いしに来たというのだ。

そういう経緯もあり、校長先生としては教育員会を説得して安全にできる環境を用意し実施できるようにしたという。

そもそも運動会は、1人では出来ないみんなが一丸となって全員が協力してできる。集団だからこそできる、個人では体験できないこと。そんな組体操があるから、日本人は我慢強いというといわれる所以なのかもしれない。

そんな体験ができるチャンスが運動会であるのだから、それを子どもたちにも体験して欲しいと考える人達が多いのではないのであろうか?

 

 

組み体操がなくなったら運動会はつまらなくなるの!?

組み体操が禁止されたら、運動会の活気がなくなってしまうのだろうか。

そこまでの影響はないだろうし、どうなるかというと、結論、組み体操による負傷者の数がなくなるということだ。

私は、元々一致団結したりする競技がキライだったので組み体操などやりたくもなかったが、今回子どもたちの運動会を見ていて、組み体操におけるこの一連にも意味があるのだ。と思うようになった。

だから、「こんなこと意味がない」という意見には、納得はしない。

色々なハプニングがあったからこその組体操だったからかもしれないが、前述した組体操では、終わった後、みんなで肩を組んで泣き合っていた。その姿がとても印象的だった。

組み体操に関して、意味があるか意味が無いかと言ったら、どちらなのかわからない。

大体人間がやるチャレンジなど、ほとんど意味がないことばかりではないか。

他の人が目指してるものや、成し遂げたい夢など、自分にとっては、どうでもいいことだろう。

野球だって、サッカーだって、音楽だって、勉強だって、突き詰めたら意味のないことなのである。

だから組み体操だって綺麗に完成したからといって、だからどういう意味があるかというと、完成したら終わりなのである。

だけど、その意味が無いことに対して、それぞれが自分で意味を付けていくことが生きていくことなのだ。

運動会だって、遠足だって、修学旅行だって、組み体操だって、これが全部ひっくるめてのパッケージが想い出ということ。

そのなかでも、ケガをする確率が高まる想い出アイテムが、組み体操などになるのだろう。

人間は意味のないことを繰り返していくが、意味があったかどうかというのは、その人が最後にどう感じたかということなのではないだろうか。

 

 

運動会の組体操の代わりは? マスゲーム? 各地で禁止をうけて

組体操の代わりに色々な代替案に悩む校長先生が多いのではないのだろうか?

少しハードルの高いものをみんなが心を1つにして作り上げ、かつ、危険でないものを考えなければならない。ではどんなものを代替として実施しているか調べてみた。

すると、阿波踊り、ソーラン節、花笠音頭など、日本の踊り関係が見受けられた。だが、この踊り、実は6年生でなくても踊っているところが多いのではないだろうか? ということで、これらの踊りでは他の学年とは少し違った差別化を図りにくいという話もあるかもしれない。

そんな中で、組体操の代わりに「マスゲーム」を実施したというところを見かけた。ここで「?」と思った人もいると思う。そう、最初に記述したとおり、組体操自体が「マスゲーム」の一種なのである。でも「組体操」と「マスゲーム」は違うものとしての印象がある。参考までよく出来ているマスゲームを探してみた。

ソース元:文理学部体育学科 第41回実習体育祭「4年生マスゲーム」屋上Ver.

このマスゲームは間に「タワー」を組むところがあるが、それを除けば特に危険なものがあるというわけではない。こちらは大学生が行ったものであるから確かに素晴らしいものではある。ここまでとは行かないまでもこのマスゲーム、完成度を高めれば見る観客にインパクトを与えられ、かつうまく出来たときの達成感も大きいのでは、という印象があった。

ただ、うまく行けばいいが、行かないと動いているだけの人になってしまったり、また軍隊の行進のようになってしまい、悪い印象を与えかねなかったりもする。作者も映像を見た幾つかは軍隊みたいで嫌だなというものがあった。

ただ、そのマスゲームの中で、芸術的な動きを意識した素晴らしい物もあり、動きがキチンと揃って、かつアート的な美しさが加わったことにより出来上がったものがある。そんなものであればとてもいい「組体操」の代わりが出来るのではないかと思う。
組体操がだめといったとしても、ピラミッドなどの高さを作るものが危険なだけであって、倒立や、ウェイブ、扇など禁止する必要もない組体操の演技ももある。

そんなものをマスゲームの中に「危なくない組体操」を組み入れてあげればいいのではないか? と思う。

さて、話は変わり結局2016年の運動会では息子の学校も組体操がなくなった。その組体操の代わりは「マーチ」だという。なるほど、考えたなと思うところだ。マーチであればマスゲームの動きの要素もあるし、それだけでなく楽器を吹きながら移動していくという動きも入ってくる。練習している生徒にどうか聞いてみるとこれが結構難しいという。どんなものになるか今から楽しみである。

 

 

運動会の花形組み体操が各地で禁止へ-最後に

そもそも日本では組体操といわず、こんなにも運動会に練習に時間をかけて真剣に実施している国は珍しい。アメリカやヨーロッパなどは、「え?これが運動会?!」ってびっくりするような完成度だったりする。

まず練習する時間も殆どとらないし、形を綺麗につくり上げるということもしない。

スタンスとしては、みんなが普段の授業の成果を運動会という形で見せているだけなのだ。

酷い時には、一度も練習せずに当日リクリエーションのような競技をみんなでやってワイワイ楽しむというレベルのものもある。

現在ゆとり教育がなくなり元の授業日数に戻ったことにより、1年間に受けなければいけない授業日数を確保するのに先生方は必死である。

その中で、朝練や放課後、または昼休みを使って運動会の練習をしてみんなが全員できるように何度も何度も練習するのである。

運動会というもの自体意味が無いことなのかもしれないが、子どもたちには何かしら心に残るものとなる。だから、先生方も必死に子どもたちに思い出を残そうとするのではないだろうか?

それは、少なくとも自分が子供だった時から続いている日本の文化であり、続けることがその日本の文化を守っていくことになるのではないだろうか?

ますます国際社会となり、海外へ出て行くことが増える中で、外の文化に触れる度に日本の文化が素晴らしいと気付かされることがある。

そう考えると、お正月におせちを食べて、節分には豆をまき、夏には盆踊りに花火大会、みんな意味が無いことだが、なぜ続けているのかもう一度考えて欲しい。

組み体操自体も日本の文化の1つと考えるのであれば、組体操はいらないとはならないのかもしれない。

そして、結局は子供の心に残る忘れられない体験が出来たかどうか? そこにつきるのではないか。

ピラミッドをやる、やらない以前に、なぜ組み体操をするのか原点にかえってみてはどうだろうか。

そもそも「組体操」自体「マスゲーム」の一種であるのだから、それなら「組体操」にこだわる前にそもそもの「マスゲーム」に戻って「道具を使用せず人間の体を用いて行う集団芸術」についてもう一度考えてみてはいかがだろうか?

 

 

 

Makoto

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