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哲学の木を伐採 観光客のマナー違反が引き金

どうもMakotoです。

観光スポットとしても人気だった「哲学の木」が伐採された。

伐採の理由として、観光客のマナーの悪さというのがひとつとしてあるようだ。

人気観光スポットだけに、純粋にこの「哲学の木」が好きだったり、
一度は行ってみたい場所として思いを馳せていたひともいただろう。

「哲学の木」が伐採されるまで、色々な経緯があり
そこに観光客のマナー違反というのが追い打ちをかけたかたちとなったよう。

苦渋の決断に至った背景には何があったのだろうか。

 

<哲学の木とはどんな木なのか>

「哲学の木」とう名前の由来は、傾いて立つ姿がまるで首をかしげているように見えることからきている。
北海道美瑛町にあるパノラマロードに1本立っていたイタリアポプラである。

ヨーロッパ原産のイタリアポプラは、真っ直ぐに伸びる姿が印象的な木で、寿命はさほど長くないよう。

天に向かってひたすら真っ直ぐ伸びるはずのイタリアポプラの木が、
丘の上の傾斜に対して逆方向に傾いているのが珍しくて、
その傾いた格好も、まるで物思いにふけっているかのように見えたという。

夏の北海道の澄み切った青空の下にも、
寒い北海道の冬景色の雪化粧を身にまとっている姿も、
どんなシーズンでも絵になる木だったそうで、
写真でも充分に美しいが、実物はスケール感から何からさらにいい風景のようだった。

“まるで物思いにふけっているかのように見えた”

とか、

“いい風景のようだった”

と、過去形で伝えなくてはいけなくなったというわけだ。

 

<哲学の木はそもそも寿命も近づいていた>

イタリアポプラである「哲学の木」は、数十年〜100年くらいが寿命のようで、
「哲学の木」もちょうどそのタイミングではあったようだ。

今回の伐採も、「哲学の木」がだいぶ弱ってきていて、
木のまわりにある農作物に倒れかかる危険性があるため、
農業の季節になって被害が出ないようにということも地主が判断したとのこと。

広大な畑にポツンと立つ「哲学の木」は、
北海道美瑛町にたくさんのひとを呼び、そのひとたちを笑顔にした。

 

<哲学の木伐採の引き金となった観光客のマナー違反>

「哲学の木」は、昨年から撮影禁止とされていた。

先述したとおり、畑の中に立っていて普通にここの地主は農作業をしているわけで、
それでも「哲学の木」見たさ撮りたさのせいで、
訪れる観光客はズカズカと畑に入っていったり、農家の方々の農作業風景を勝手に撮影したり、
所有するトラクターに無断で乗り込んでみたり、それを注意するとキレてくる奴もいたという。。。

地主や農家の方には不本意であったが、北海道美瑛町にせっかく来てくれたひとたちの楽しみのためだとしてきた。

しかし、ここにきてついに堪忍袋の緒が切れてしまったわけだ。

撮影禁止にする前は、地主が赤のスプレーで木の幹に大きなバッテンを描いて撮影をしないよう促したこともあった。

そして、撮影禁止にしてからも畑に入ってきてしまうひとたちは後を絶たなかったという。

このマナーの悪さに我慢の限界がきたのと、「哲学の木」の寿命のタイミングで、
伐採するという苦渋の決断に至ったというわけだ。

 

<哲学の木が伐採された写真は公表しない>

「哲学の木」が伐採された瞬間を記録としてカメラに収めたプロカメラマンによれば、
地主に「何もなかったことにしてほしい・・・。」といわれたという。

今回のことによる教訓と、各地でのマナー向上に繋がればという気持ちで発信しようと思ったが
地主のあまりにも切なる願いに公表はしないことで話がついているとのこと。

また「哲学の木」があったという場所に訪れるひとたちを避けたいという地主の思いもあるようだ。

「何もなかったことにしたい」ほど、ここまで思うなんて相当辛い思いをしたのかと胸が苦しくなってくる。

 

<哲学の木伐採の話題に思うこと>

そもそも、この「哲学の木」があった畑は観光地ではないと思う。
一般人の私有地なわけで、一般人の住所が公にさらされていたようなもの。
北海道の田舎で穏やかに農作業しているご年配の方々には、そりゃハンパはないストレスだったに違いない。

都会に限らずとも、プライベートで有名人を見かけたりしたとき、
このチャンスを逃してはいけないと、何とかスマホのカメラに収めようと必死になるというのもどこか似ているところもある。

現在は、SNSが発達したり、情報の伝達範囲が広すぎる。

そして、個人の情報発信合戦みたいな風潮もあり、写真に撮る理由のひとつにSNSに載せるというのも含まれている。

地主が赤いスプレーで大きなバッテンを幹に描いても、
その大きな赤いバッテンが書かれた「哲学の木」がまた記念の一枚としてコレクションになってしまう。

「哲学の木」という名前にふさわしいというか何というか、そんな最後となった。

 

 

 

Makoto

【※追記あり】組み体操が各地で禁止へ運動会の花形の行方は?

どうもMakotoです。

 

運動会の花形種目として知られている組み体操。

義務教育経験者であれば、やりたいやりたくないは別にして参加したことがあると思う。

このところ、立て続けにこの組み体操を実施したことによる学校内での負傷事故のニュースが上がってくるようになった。

これに伴い、組み体操実施を禁止する自治体も出てきていて、文科省も消極的であったものの、そうもいかなくなり「重大な関心をもって、このことについて文部科学省としても取り組む」として、2016年度内に具体的に処置をすることを示している。

果たして、組み体操自体に悪があるのか、組み体操の中身を改善することでこの問題は落ち着くのだろうか。

今まさに、組み体操でやるピラミッドの頂点に立っているかのように、現場もぐらぐらと揺らぎ始めている。

 

 

そもそも組体操とは? どこまでが組体操?

組体操と言ってもいろいろな種目がある。一体組体操の定義はなんなのか?

Wikiより引用2016年7月2日

「組み立て体操」(くみたてたいそう) とは、体操を基礎にして、一般には道具を使用せず人間の体を用いて行う集団芸術である。日本では学校の運動会や体育祭でしばしば披露されるマスゲームの一種である。一般的には「組体操」(くみたいそう)の呼称が定着している。

引用終了

上記wikiを見ると、要は人間の体だけで行うマスゲーム(集団競技)のこととのこと。ということはそもそももって運動会の競技の中で道具を使わないものほとんどが組体操ということになるのだろうか ?

ただ、運動会のプログラムの中で「組体操」という演目があり、今回はその演目内での競技のことを指しているようだ。

では、その組体操の現在と、今後の動きについて今回はまとめてみようと思う。

 

 

組み体操のピラミッドは何段に設定されているのか

組み体操というと、どうしてものタワーやピラミッドを思い浮かべるのではないだろうか? そもそもその大技、何段までという取り決めなどはあるのだろうか。

実は今までそういった規定というのを聞いたことがない。というより実は組体操自体、義務教育で実施するといった規約等ないのである。でもなぜか小学校6年生になると小学校最後の集大成として組体操を成功させ、卒業を迎えるという流れがある。

この組み体操という種目は、運動会の花形で、見せ物として拍手喝采を浴びるところ。

とりわけこの見せ物は、より巨大に、より高くなればなるほど見るものを驚かせることになる。

ある地域の中学校が、組み体操で10段超えのピラミッドを成功させたという記録があるが、10段ともなると、実に高さが7メートルにまでなる。

その巨大ピラミッドの頂点に立つ生徒は、そこで2本足で立っているのだからスゴイ。

しかし、上は上で怖いが、下の土台にはスゴイ過重がかかっていることも理解しなければならない。

このように高さが高くなればなるほどリスクは大きくなる。しかし、低いからといって危険ではないかというとそうではない。2段でも転落して死亡した例もある。というのも落ちた時に頭を打って打ち所が悪ければ死亡事故につながる。

今回の一連の流れで高さ制限をかけて組体操を実施するという自治体も出てきている。だが、2段でも死亡例があるのであれば、高さが低くなった分リスクは少なくなるが根本的な解決にはなっていないのではないだろうか?

私は比較的体が大きな方だったので、組み体操のピラミッドやタワーでは、毎回土台の方にまわっていた。でも、高いところが大キライなだけに、そっちの方がよかったのだが、崩れたときの潰されるリスクがあるということは当時は考えなかった。

 

 

組み体操のピラミッドやタワーの巨大化による危険性について

組み体操の巨大化により、高い所にのぼる生徒たちは落下の危険性がある。

そして、組み体操が巨大化するということは参加人数が増えることなので、それにより、土台の生徒にかかる負担がハンパではない衝撃になってくる。また崩れたときの肋骨などの骨折のリスクも高い。

自分の背中に複数人の体重が掛かり、一番下の生徒は地面の細かな石などが手の平や膝に刺さって痛いだろう。

高さ7メートルにも及ぶ10段のピラミッドの場合、1人の生徒に掛かる負荷は、200kgにもなるというのだから、よくぞ耐えているなと感服する。

ま、10段は特別として、普通の学校ではどのくらいの高さなのだろうか? 我が子の運動会にも毎年6年生が組み体操を行うのが恒例となっていて、5段というのが通例のようだ。

しかし、昨年の秋の運動会では5段から4段に減らされた。というのも、練習中にピラミッドが崩れ1人腕を骨折したのだ。

 

 

組み体操でピラミッドの怪我をした後の対応

そんな経緯があった子供の小学校では、怪我をしたことにより、保護者への説明や先生同士の話し合い等行われ、結局段数を1つ減らすというリスクを低くすることで落ち着いたようだ。

そんなこんなで開催された運動会当日の6年生の組み体操の時は学校にいる先生方全員出動でそのサポートにあたっていた。

通常ひかないマットも崩れる予想がするところにフォーメーションを替える度、先生方が持って走り回ってはセットをしていた。

危険なのはピラミッドだけではなく、タワーというものもある。

座った状態で3段に組み上げた人が最後に立ち上がるというものである。学校によっては2段だったりすることもあるのだろうが、わが校は3段だ。

先生方の緊張感が伝わってきて、まさに手に汗握る組み体操であった。

 

 

組み体操の事故多発による安全確保の処置

組み体操のピラミッドやタワーによる事故が多発していることから、学校単位ではなく自治体自体で対策を施しているところもある。

例えば、名古屋市の教育委員会は、ピラミッドは4段まで、タワーは3段までとするガイドラインをまとめて、全小中学校に通知している。

なにゆえ3〜4段の高さにしたのかというと、最上段の生徒の足が、補助する教員の手が届くような高さであるということ。それが、地上から約2メートル以内ということになった。

名古屋市内の小学校や中学校では2015年度に組み体操で28人が骨折をした事故が起きている。

 

 

なぜ組み体操を行うのか? に対する色々な考え方

先述したような、高さ7メートルを超える10段の巨大人間ピラミッドを完成させたときの生徒たちの喜びというのも大きかったと思う。

見てのとおり、支え合うことで成し遂げた成功だということ。

ただ、教師の自己満足で生徒を危険にさらしているという考え方もあるよう。

だが、最初は教師たちの働きかけでなんとなく始めたとしても、大変な思いをしながら形を作り、最後は生徒たち自ら一丸となって成功させたいという気持ちが強くなっていくのである。

一昨年、実は子供の通う学校で色々と学校内で事件があり運動会が延期に延期を重ねるという出来事があった。

教育委員会と学校と保護者とで話し合いをなんども重ね、最終判断は校長先生に委ねられた。

運動会を開催するかどうかという報告の保護者会には体育館いっぱい埋まるほどの保護者が参加した。そして、結果最終的には決行となったのである。

決行と判断した理由として、6年生のみんなが署名を集め、そしてその中で代表の子供数人が校長先生のところに運動会を中止にしないで欲しいとお願いしに来たというのだ。

そういう経緯もあり、校長先生としては教育員会を説得して安全にできる環境を用意し実施できるようにしたという。

そもそも運動会は、1人では出来ないみんなが一丸となって全員が協力してできる。集団だからこそできる、個人では体験できないこと。そんな組体操があるから、日本人は我慢強いというといわれる所以なのかもしれない。

そんな体験ができるチャンスが運動会であるのだから、それを子どもたちにも体験して欲しいと考える人達が多いのではないのであろうか?

 

 

組み体操がなくなったら運動会はつまらなくなるの!?

組み体操が禁止されたら、運動会の活気がなくなってしまうのだろうか。

そこまでの影響はないだろうし、どうなるかというと、結論、組み体操による負傷者の数がなくなるということだ。

私は、元々一致団結したりする競技がキライだったので組み体操などやりたくもなかったが、今回子どもたちの運動会を見ていて、組み体操におけるこの一連にも意味があるのだ。と思うようになった。

だから、「こんなこと意味がない」という意見には、納得はしない。

色々なハプニングがあったからこその組体操だったからかもしれないが、前述した組体操では、終わった後、みんなで肩を組んで泣き合っていた。その姿がとても印象的だった。

組み体操に関して、意味があるか意味が無いかと言ったら、どちらなのかわからない。

大体人間がやるチャレンジなど、ほとんど意味がないことばかりではないか。

他の人が目指してるものや、成し遂げたい夢など、自分にとっては、どうでもいいことだろう。

野球だって、サッカーだって、音楽だって、勉強だって、突き詰めたら意味のないことなのである。

だから組み体操だって綺麗に完成したからといって、だからどういう意味があるかというと、完成したら終わりなのである。

だけど、その意味が無いことに対して、それぞれが自分で意味を付けていくことが生きていくことなのだ。

運動会だって、遠足だって、修学旅行だって、組み体操だって、これが全部ひっくるめてのパッケージが想い出ということ。

そのなかでも、ケガをする確率が高まる想い出アイテムが、組み体操などになるのだろう。

人間は意味のないことを繰り返していくが、意味があったかどうかというのは、その人が最後にどう感じたかということなのではないだろうか。

 

 

運動会の組体操の代わりは? マスゲーム? 各地で禁止をうけて

組体操の代わりに色々な代替案に悩む校長先生が多いのではないのだろうか?

少しハードルの高いものをみんなが心を1つにして作り上げ、かつ、危険でないものを考えなければならない。ではどんなものを代替として実施しているか調べてみた。

すると、阿波踊り、ソーラン節、花笠音頭など、日本の踊り関係が見受けられた。だが、この踊り、実は6年生でなくても踊っているところが多いのではないだろうか? ということで、これらの踊りでは他の学年とは少し違った差別化を図りにくいという話もあるかもしれない。

そんな中で、組体操の代わりに「マスゲーム」を実施したというところを見かけた。ここで「?」と思った人もいると思う。そう、最初に記述したとおり、組体操自体が「マスゲーム」の一種なのである。でも「組体操」と「マスゲーム」は違うものとしての印象がある。参考までよく出来ているマスゲームを探してみた。

ソース元:文理学部体育学科 第41回実習体育祭「4年生マスゲーム」屋上Ver.

このマスゲームは間に「タワー」を組むところがあるが、それを除けば特に危険なものがあるというわけではない。こちらは大学生が行ったものであるから確かに素晴らしいものではある。ここまでとは行かないまでもこのマスゲーム、完成度を高めれば見る観客にインパクトを与えられ、かつうまく出来たときの達成感も大きいのでは、という印象があった。

ただ、うまく行けばいいが、行かないと動いているだけの人になってしまったり、また軍隊の行進のようになってしまい、悪い印象を与えかねなかったりもする。作者も映像を見た幾つかは軍隊みたいで嫌だなというものがあった。

ただ、そのマスゲームの中で、芸術的な動きを意識した素晴らしい物もあり、動きがキチンと揃って、かつアート的な美しさが加わったことにより出来上がったものがある。そんなものであればとてもいい「組体操」の代わりが出来るのではないかと思う。
組体操がだめといったとしても、ピラミッドなどの高さを作るものが危険なだけであって、倒立や、ウェイブ、扇など禁止する必要もない組体操の演技ももある。

そんなものをマスゲームの中に「危なくない組体操」を組み入れてあげればいいのではないか? と思う。

さて、話は変わり結局2016年の運動会では息子の学校も組体操がなくなった。その組体操の代わりは「マーチ」だという。なるほど、考えたなと思うところだ。マーチであればマスゲームの動きの要素もあるし、それだけでなく楽器を吹きながら移動していくという動きも入ってくる。練習している生徒にどうか聞いてみるとこれが結構難しいという。どんなものになるか今から楽しみである。

 

 

運動会の花形組み体操が各地で禁止へ-最後に

そもそも日本では組体操といわず、こんなにも運動会に練習に時間をかけて真剣に実施している国は珍しい。アメリカやヨーロッパなどは、「え?これが運動会?!」ってびっくりするような完成度だったりする。

まず練習する時間も殆どとらないし、形を綺麗につくり上げるということもしない。

スタンスとしては、みんなが普段の授業の成果を運動会という形で見せているだけなのだ。

酷い時には、一度も練習せずに当日リクリエーションのような競技をみんなでやってワイワイ楽しむというレベルのものもある。

現在ゆとり教育がなくなり元の授業日数に戻ったことにより、1年間に受けなければいけない授業日数を確保するのに先生方は必死である。

その中で、朝練や放課後、または昼休みを使って運動会の練習をしてみんなが全員できるように何度も何度も練習するのである。

運動会というもの自体意味が無いことなのかもしれないが、子どもたちには何かしら心に残るものとなる。だから、先生方も必死に子どもたちに思い出を残そうとするのではないだろうか?

それは、少なくとも自分が子供だった時から続いている日本の文化であり、続けることがその日本の文化を守っていくことになるのではないだろうか?

ますます国際社会となり、海外へ出て行くことが増える中で、外の文化に触れる度に日本の文化が素晴らしいと気付かされることがある。

そう考えると、お正月におせちを食べて、節分には豆をまき、夏には盆踊りに花火大会、みんな意味が無いことだが、なぜ続けているのかもう一度考えて欲しい。

組み体操自体も日本の文化の1つと考えるのであれば、組体操はいらないとはならないのかもしれない。

そして、結局は子供の心に残る忘れられない体験が出来たかどうか? そこにつきるのではないか。

ピラミッドをやる、やらない以前に、なぜ組み体操をするのか原点にかえってみてはどうだろうか。

そもそも「組体操」自体「マスゲーム」の一種であるのだから、それなら「組体操」にこだわる前にそもそもの「マスゲーム」に戻って「道具を使用せず人間の体を用いて行う集団芸術」についてもう一度考えてみてはいかがだろうか?

 

 

 

Makoto

SFの世界が現実に!? ひとが通りぬけられる空中大型ディスプレイを三菱電機が開発

どうもMakotoです。

三菱電機は、この度空中に映像を表示するいわゆる「空中ディスプレイ」を開発した。

何も存在しない空中に対角約56インチの大型映像が現れるというのだ。

いつか観たSF映画のシーンのようなことが現実として実用化されることに非常に興奮するとともに、未来への輝かしい開発の特徴について紹介します。

<空中大型ディスプレイの仕組み>

この空中大型ディスプレイという空中に映像を表示する仕組みというのは、「ビームスプリッター」という反射光と透過光とに分離するものと、再帰性の反射シートを組み合わせてできている。

スクリーンの映像が光として、それをビームスプリッターで分離し、再帰性反射シートにより複数光を反射することで、離れた空中に映像が現れる。

ビームスプリッターから空中の映像中心部までを1メートル以上とれば、ひとが空中映像の中を通りぬけられることが可能なのである。

<空中大型ディスプレイ出現により高まるエンターテイメント性>

私が大好きな映画で「BACK TO THE FUTURE Ⅱ」という作品があるが、その劇中で、主人公のマイケル・J・フォックスが未来へタイムスリプし、街中で3D立体ジョーズの映像にビックリする場面があるが、この映画を観たときのワクワクする感覚がよみがえってくる。

やはりこういった類いの話題は、エンターテイメント的なアプローチというのを大いに期待してしまいがちで、この手法をどんなハイグレードなパフォーマンスとして楽しませてくれるのか。

<空中大型ディスプレイも東京オリンピックへのアピールに>

この空中大型ディスプレイの開発は、原理や仕組みを知ると改めてスゴイ技術の進歩によるものだと思う。

このタイミングで日本が世界にアピールできるものがドンドン公にされてきているような気がする。

やはり、2020年の東京オリンピックの開催というのがとても大きな焦点となっていて、各企業が歴史の1ページに華を添えることをひとつの目標としているように思える。

近年では、この手の技術革新はテレビゲーム等の世界が象徴とされてきたが、ついにリアルなものとして実現する時代となった。

<空中大型ディスプレイの今後の展開は? >

空中大型ディスプレイの出現は、新しい時代の到来であるが、まだ現段階では試作品の状態。

今後は、アミューズメントやデジタルサイネージなどのエンターテイメントと、案内標識、公共サインといった生活に密着した分野での活用を見越している。実用化は、2020年以降とのこと。

<空中大型ディスプレイどんなところで活躍できる? >

空中に浮かび上がるのであれば、寝たまま映像を見ることが出来るようになる。横着だが、休日はごろんと転がって天井を向いていれば映画を楽しめるのであるなら、こんな楽なことはない。

また、使い方によっていは色々使えそうだ。

学校で理科や社会などの授業でも活躍できるだろう。その1つにプラネタリウムが挙げられる。

それ用のプラネタリウムの設備があるところでしか見られなかった星座も、学校の教室がプラネタリウムに早変わりすることも出来そうだ。また、宇宙や、自然の授業でも活躍できそうだ。

そういえば筆者がアメリカ・シカゴに行った時に、週末は近くの大きい公園で野外映画をやっていた。

奥さんと子供は夜の軽食やスナック菓子、飲み物とシートを持って先に公園で場所取りをして、旦那さんは仕事が終わったその足で直接公園へ。

暗くなる間、ピクニックのように夜食を楽しんだ後、映画が始まるというシステムだった。もちろん、無料。

その時日本にはないこのシステムに痛く感心したのである。

無料で映画を見られるということよりも、かなり大きい公園にもかかわらず、大勢の家族連れが集まり、家族団らんを過ごすそのカルチャーがいいなと思ったのである。

今は、56インチの開発ということだが、サイズを大きくできれば、各都道府県が公共の公園で上映会を開いたりできそうだ。

働き過ぎで家族のコミュニケーション不足の日本人に、そんなカルチャーが芽生えれば、IT技術も家庭円満に一役買えるのではないか?

<空中大型ディスプレイ開発の三菱電機が日本の技術力を証明>

何年か前から、日本のものづくり技術が衰退したような話題がチラホラ聴こえてきていたが、上記でも書いたが、このところの日本の技術力のアピールが頼もしい。

当然諸々の併用される機器の性能や耐久性といった問題をクリアしなければならないとは思うが、しっかりと2020年に照準を合わせ開発に磨きをかけてくれるはずである。

こういった開発から、また新しいビジネスが生まれるのだろう。

これこそ21世紀を象徴するような技術革命である。

Makoto

ディズニー3年連続の入園料値上げに夢の国にも格差の予兆

どうもMakotoです。

みなさん“夢の国”といわれる東京ディズニーリゾートには年に何回くらい足を運ぶだろうか。

私は年に一回行くか行かないかという程度でとてもファンとはいえない身分だが、ディズニーランドもディズニーシーも、どちらも好きな場所である。

“夢の国”というのは大げさな喩えではなく、本当に魔法にかけられるような感覚で、
純粋に「楽しい」と心から思わせてくれた。

そんな“夢の国”東京ディズニーリゾートを経営するオリエンタルランドが、
この度ディズニーランドとディズニーシーの入園料を値上げすることを発表した。

<ディズニーの入園料値上げは3年連続>

ディズニーが入園料を値上げするのは、2014年から実に3年連続のことで、
トータル1,000円以上の値上がりということになる。

実施されるのは4月1日からで、現在の大人6,900円から500円増の7,400円に上がる。
また、それぞれ12〜17歳までが6,400円(400円増)、4〜11歳までが4,800円(300円増)となる。

“夢の国”の値打ちが毎年上がっていくのが恒例となってきている。

<ディズニー入園料値上げにファンの声はまっぷたつ>

ディズニーには根強いファンが大勢いるし、
私のように年に一回行くか行かないかくらいの人間でも魅了してしまう程の魅力があり、
“夢の国”をこよなく愛するファンは世界中にいる。

「高すぎる!本当に行くのが夢になるんじゃないか・・・。」
「ついに考える値段まできたなぁ。。。」
「貧乏人は相手にしないってことだな。」

という批判の声、悲痛の声も聴こえてくる一方、、、

「好きなら1万円でも行く!」
「どうせならもっと値上げして、混雑緩和に繋げてくれ!」

というような声もあがっている。

<ディズニーの入園料を値上げしても入園者数の減少には繋がっていない現状>

ディズニーが2014年から毎年値上げを敢行していても、
実際のところ入園者数が減るといった影響が少ないのが事実なのだ。

値上げ以降も現在まで、ディズニーランド、ディズニーシーと相変わらずの盛況ぶりで、
今回の値上げに関しても、集客にはさほど影響しないとふんでいるようだ。

現にオリエンタルランドは、「パークの価値に見合った適正価格」という強気な考えなのだ。

入場者数がちょっと減少しても、客単価は上がっているためまかなえるのかもしれないし、
その分混雑を緩和したら、顧客満足度が上がることになるという狙いなのか。

テーマパークは目新しい物をどんどんつくっていかないと飽きてしまうもの。この値上の背景には新しいアトラクション構築に伴う経費増大がある。

それに加え、ディズニー本体に対するライセンス料が$の関係で上がっていることも、経費増大の要因の一つでもあるので値上げせざる得ない状況も伺える。

1000円プラスしたとしても、次々と誕生するアトラクションが期待を裏切らない、ということがわかっているからお客は再びリピートとして夢の国に再び足を運ぶことにつながっているといえるであろう。

<ディズニーの入園料値上げに相まって、消費税の値上げまでやってくる!?>

ディズニーの入園料が値上げされたと思ったら、その次にくるのは、消費税の引き上げということになりそうで、また来年も入園料が値上げされるのかと思ってしまう。

思えば、ディズニーのみならず、様々なものが値上がり傾向にあり、値上がりに等しいと思える、内容量の減少した商品もドンドン増えてきている。

スナック菓子など、袋の半分弱のスカスカな状態で売られているし、何か値段に見合ったパフォーマンスという概念ももはや持ち合わせていては生きていけなくなってしまったのかと思える。

高いと思うなら行かなきゃいいし、買わなきゃいいのは確かにそうだが、それ相応の見返りは求めるし、パフォーマンスは発揮してもらわなければいけない。

実は人間は、ただで夢の国に行けるような退屈な人生を心から求めているのではなくて、自分の想像をはるかに超える感動をもらえたことに対して、「ありがとう」という名のお金で感謝を気持ちを返したい生き物なのだ。

たばこがドンドン値上がりしても止めないひとは止めないし、ひとによって価値を感じる観点が違う。

どうか、私のようなあまりディズニーを利用しないような客でも、行くと決まった前日には胸を踊らせワクワクするような思いをいつまでも持ち続けられるような存在であってほしいと思う。

Makoto

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