文化祭で“ぼっち”になるひと、実は意外に多いって説!

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

どうも、Makotoです。

 

夏が終わりを告げ、でも暑さは残り、湿った空気を感じて過ごす9月になりました。

 

夏はイベントのシーズンという感じで、世の中のテンションが上がりがちなのだが、やはり、短い夏を楽しむための気持ちのもっていきかたなのかもしれない。

 

実のところ、夏の次に訪れるという季節にだって、行事や催し物は多い。

 

一年の中で季節になぞらえた行事を敢行してくれるのは、特別、学生時代の特権みたいなものだともいえる。

 

学生にとって、夏という季節もかけがえのない思い出に残る季節だが、夏休みで普段よりも友人たちとの交流が少なくなることもある。

 

は、そんな友人たちとも再会できて、暑さも若干残りながらも、清々しさを肌で感じながら、一年の後半のラストスパートに向けての走り出しをする季節だろう。

 

まさに、学生時代というのは思い出とともに駆け抜ける青春。

 

このときにしか味わえない仲間との時間を思う存分楽しみたいところである。

 

 

さて、秋の行事のなかで学生にとって楽しみのひとつであり、一大イベントとなるのが、“文化祭”だと思う。

 

他校の生徒なども母校を訪れ、交流を楽しめる企画が盛りだくさんだし、逆に、他校に赴いてみるということもできるわけだが、そんな楽しみな“文化祭”で、友人たちとの和に入らずか入れずか、いわゆる、「ぼっち」になる生徒も意外に多いらしい。

 

なぜ、“文化祭”「ぼっち」になってしまうのだろうか・・・。

 

 

文化祭でのぼっち現象は、結構あるあるだった!

文化祭ぼっちになってしまうことは、意外と多い。

 

意外と多いといっても、大多数が文化祭ぼっちになっているかというと、そういうことではなくて。

 

特に、高校生の年代に文化祭ぼっち現象が見られることが、まぁまぁあるようだ。

 

なぜかというと、

 

高校生の文化祭は、やはりキャパシティーの大きさによるクオリティーの高さが増す。

 

それだけに、文化祭のホスト校にとっては、イベントにかける熱意や心意気が違ってくる。

 

楽しみかたも命がけとまではいかなくても、完全燃焼といった感じ。

 

だから、

 

出店している屋台や催し物、ステージでのパフォーマンスといったことには、人員と熱量がおのずと比重を増すことになってくる。

 

その分、普段つるんでいる仲間が、ひとりふたりと割かれるわけだ。

 

ひとりで店番・・・、なんてことも充分ありえる文化祭ぼっち現象のひとつである。

 

 

 

文化祭でぼっちになる背景

学生時代の楽しみな行事のひとつである“文化祭”ですが、前途のとおり、ひとりぼっちで居場所のないという、いわゆる、「文化祭ぼっち現象」になってしまう学生も意外といる。

 

では、

 

なぜ、学校が主催する一大イベントの文化祭において、そのようなことになってしまうのだろうか。

 

やはり、

 

大きな要因のひとつとしては、文化祭といえども、学生たちにとっては学業の一環として捉えられ、いわば、強制参加が義務づけられているということがある。

 

自由参加でいいということであれば、あらかじめ、ぼっちになりそうなことが分かれば、参加しないという選択だってできる。

 

しかし、

 

それだと、店番や催し物の人員の確保ができなかったり、そもそも、他校の生徒も参加するという、ホストとして開催する学校の行事なのに、万が一、迎え入れる側の生徒たちが手薄となれば、しめしもつかないことになる。

 

そんな、オトナの事情的な背景もふまえた理由で、文化祭には参加しなくてはいけない。

 

 

 

文化祭ぼっちの過ごしかた

では、実際のところ、文化祭ぼっちになった学生は、どのようにして、その日一日を過ごしているのだろうか!?

 

リサーチしてみると、なかなか苦悩やアイディアがあって、若者たちに対して、愛おしい気持ちにもなってくるような感情も芽生えた。

 

■使ってない教室や施設にいる。

ぼっちになっているということで、ひとが集まりやすい場所ではなく、ひとのいない場所でひっそりと時間が過ぎるのを待つというわけです。

 

■トイレで過ごす。

「そんなこと耐えられるのか!?」と思ってしまうが、これも選択肢のひとつらしい。

いくらぼっちとはいえ、少しでも快適に過ごす方法を見いだせたらと思う。

いっそのこと、トイレ掃除でもしてみるのもありかもしれない。

 

■屋台などの行列にわさと並びまくる。

これは、結構いいアイディアかなと思った。

行列に並べば、順番待ちをしている間その分時間は過ぎていく。

屋台の行列に並び、順番がきたところでやっぱり買うのもやめたり、本当にお腹がすいたり、喉がかわいたら、購入すればいい。

 

■他校の生徒だけに声をかけまくる。

ナンパみたいなことになるが、せっかくだから他校の生徒とだけ会話をする。

ぼっちになれたことで、育まれた友情や愛情があるかもしれない。

 

 

 

文化祭でぼっちになっても楽しめる!

いかがだっただろうか!?

 

私も学生時代を思い返してみれば、やはり、あの頃には学生特有の悩みや葛藤があったし、そのひとつひとつが、色あせていないことも確かである。

 

そして、

 

ヘンないいかたにはなるが、今回何よりも私が嬉しく思えたのは、文化祭ぼっちになったからといって、学生たちは、何も楽しむことを放棄しているわけではなく、それぞれに工夫をして、考えて行動しているのだなということ。

 

私は、文化祭ぼっちになった経験はない。

 

しかしながら、

 

文化祭を思いっきり楽しんだかというと、そんな思い出もない。

 

身勝手な話だが、クリエイティブなことを生業とさせていただいている人生において、例えば、文化祭ぼっちになるような経験などは、ひとつでも多くしておいた方がよかったなとも思う。

 

学生たちにとっては、その瞬間がまさに全ての現実であり、今を精一杯に生きている。

 

だからこそ味わえるかけがえのない思い出というのは、人生の答え合わせがある程度できてしまう年齢になると、間違いなく味わえない貴重な体験ではないだろうか。

 

 

 

 

Makoto

SNSでもご購読できます。

スポンサードリンク




%d人のブロガーが「いいね」をつけました。